2011年02月14日

一部分だけ見ると誤解してしまう

今日から信州で新たに中級講座三回シリーズが始まります。

月一回のコースです。
今日は名古屋―信濃穂高日帰りです。


先日、知り合いとこんな会話がありました。


私、キリスト教って嫌いなんだよね。


どうして?


右の頬を打たれたら左の頬をだしなさいってあるじゃない。
私だったら右の頬を打たれたら倍返しして殴ってやるわ


イエス様はその言葉を語る前に次の話をしてるんだよ。
目には目を、歯には歯をモーセの時代から言われているが私はあえて言う。右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいと。

やられたらやりかえすとは昔から言われていてそれでは報復の繰返しになるので報復をやめる意味として右の頬の話が出てきたわけ。



全体像が見えないと一部分だけ見て誤解してしまうことがあります。

右の頬の件もそこだけ見ていると誤解してしまいますが、何故その言葉が出てきたかの背景を知ると本質が見えてきます。


一部分だけ見て誤解することはよくあることです。

キリスト教が明治になって解禁されても忌み嫌われていた背景に聖書の中にある言葉が原因があります。

それが「私の血を飲み私の肉を食べなさい」という言葉です。
実際に聖書にそのように書いてありますのでその言葉だけを見るとキリスト教とは怪しげな人肉を食べる儀式をしている恐い宗教と誤解してしまうでしょう。

「血と肉」は何らかの象徴を表しています。

イエス、キリストの精神を体の中に取り入れることを「血と肉」とで表しています。

日本語でも食べることで血となり肉となると表現があります。
キリスト教では「血」は「ぶどう酒」、「肉」は「パン」として信者に分け与える儀式があります。



全体や本質を見る習慣をつけることが大切に思えます。
posted by ことだま教師 at 08:39| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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